風ふくまで

いつもクルマのことばかり考えています

経済大臣と明かす一夜

あれは2011年3月13日のこと。

日本は大震災でてんやわんやしていた頃の出来事。

 

僕はジュネーヴにいた。

日本の様子は気になってはいたものの、僕は修了旅行の最中。

しかも最大の楽しみであるジュネーヴモーターショーを観に来ている。

フェラーリランボルギーニが新車を出す、世界一華やかなショーだ。

 

それでも日本の様子が気になり、そわそわしていた。

家族は九州なので大丈夫と思いつつ、一応、その日の朝、Eメールで連絡を取った。

案の定大丈夫だった。

 

 

 

そんな状況での出来事である。

 

ジュネーブには2泊した。

ジュネーブは物価が高いことで知られているが、当時、一般的なホテルでさえ最低1泊2万円もかかった。

学生最後の旅行とは言え、お金がないことには変わりないのでユースホステルに宿泊した。

6人相部屋、朝食付きで5,000円。

相部屋なんて国内外問わず初めて。

お金の節約だけが目的で、人と触れ合おうなんて微塵も思っていなかった。

 

 

2日目の夜、モーターショーを終えてユースホステルに戻ってきた。

1日目は無口な欧米人1人だったが、今夜は5人くらいいるようだ。

一応、"こんばんは"と挨拶を告げる。

 

しばらくして、上段にいた黒人が喋り始めた。

"みんな静かだな、ユースホステルなんだから、お互いのことをしゃべらないか"

"オレは旅行者との交流を大切にしている"

等と喋り始めた。

・・・なんか厄介なヤツがいるな。

 

予想通り、次の会話を始める人は誰もいない。

"まずは自己紹介をしよう"

黒人が喋り始めた。

次の瞬間、耳を疑った。

"私はナイジェリアの経済大臣の●●だ"

"ジュネーブで開催されるアフリカの経済○○会議で訪れている"

 

え?

Minister of Economyって言ったよね。

"本当に経済大臣なの?なぜそんな人がこんなホステルにいるの?"

まさか、口火を切るのが自分になるとは思わなかった。

 

"会議は明後日からだ。今は自由時間。私は会議の前に少し早く現地入りして人と触れ合うことを大切にしている。"

なるほど。

・・・いや、ナイジェリアがどんな国家かよく知らないが、経済大臣ともなればそんな自由はないだろ?!

と思ったが、疑ってそれ以上問い詰めても甲斐はないと思え、納得したフリをした。

 

 

その後、各自自己紹介を行うことに。

僕以外は、イタリア人2人、韓国人1人がいることが分かった。

うち、イタリア人1人は割と活発そうだが、1人はシャイ。

シャイと言うか、英語があまり上手でない。

欧米人は皆それなりのスピーキング能力があるのかと思っていたが、そうでもないのか。

なんだか、ちょっと安心。

韓国人とイタリア人は登山をしに来たと話す。

経済大臣が、ジュネーヴを訪れる人の多くが登山目的だ。等と話す。

 

僕の番だ。

ジュネーヴモーターショーに来たと話すが、あまり皆興味はなさそう。

クルマ離れは世界的な現象のようだ、と、この小さなコミュニティから即断してしまった。

経済大臣が、ジュネーヴでは大きなモーターショーが開催されている。等と話す。

経済大臣もあまり詳しくないようだ。

 

続いて、経済大臣がテーマを振ってきた。

世界経済についてどう思うか、という話題である。

うーん、単刀直入で逆に難しい。

経済大臣は活発な方のイタリア人に意見を求める。

リーマンショックとか南北問題の話の話を題材に何か会話していた。

この頃から、僕は明日の準備等で少しずつ会話を聞かなくなっていった。

何を隠そう、翌朝5時台の便でパリに向かうため、4時過ぎにはホステルを出なければならない。

二段ベッドの上段にいたこともあり、運よく目線をかわすことができた。

 

 

ふと気づいたときに、話題はベルルスコーニ首相の話題になっていた。

イタリア人と話が盛り上がっていたのも一因だろうが、2011年当時、世界的にもベルルスコーニ問題が割と席巻していた。

 

経済大臣が僕に振ってきた。

"ベルルスコーニについて、Akiraはどう思う?"

とっさに出た言葉は、

"信じられない。なぜあんなスキャンダラスなのが、首相をなのか。日本だったらすぐやめてるはずだ"

すると、経済大臣はツボに嵌ったように興奮しながら話し出す。

残念ながら早口だったので、よく理解できなかったが、僕の意見に加えて持論を展開していたはずだ。

 

話が落ち着いたころを見計らって、

"もう9時だ。私は明日4時過ぎに出るから、寝ます"

すると、経済大臣も同調し、

"確かにもう遅いから寝よう。電気を消すぞ。"

おお、いい人だ。

日本人、よく切り出した。

イタリア人や韓国人もそう思ったに違いない。

 

こうして、経済大臣と明かす一夜は幕を閉じた。

 

電気が消えた後、少し考えた。

英語でのコミュニケーションにビクビクしながらうまく切り抜けた安堵感の直後に、大震災のことを思い出し不安に駆られた。

やはり欧州では日本の震災など対岸の火事なのかな。

話題にも出なかった。

 

ジュネーブショーの興奮、経済大臣との会話、大震災の不安、対岸で感情が揺れ動いた2011年3月13日の出来事でした。

 

 

いすゞのこと知ってますか?

最近いすゞの自動車博物館が湘南藤沢にできたと言うので行ってみた。
いすゞなんて国内では乗用車部門から手を引いてから久しいので、何を今更作ったのか、とからかいに行くつもりだったが、外観がクリーンな印象で驚かされた。
自動車博物館系で例えるならばシュツットガルトのポルシェセンターのような見た目。





自動車博物館と言えばクラシックカーの展示がメインだが、いすゞの博物館は子ども向けのコンテンツが充実している。
その一つが巨大なジオラマ
建物やインフラ、人物すべてが丁寧に作られているだけでなく、一部はカラクリ人形のように動くのだ!子どもは動くまで釘付けになり、1時間程度ここで時間を費やす子もいるのではないかとさえ思う。




続いて驚いたのは、トラックの納品体験。
様々な職業から1つ選び、その人の要望に最適なトラックを納品するというもの。
僕はコンビニ店長から配送に適した車両を依頼されたが、小型、冷蔵対応と選んでいってもまだ更に選択肢が3,4種類残っていて困った。
適当に選ぶと店長にちょっと違うと断られる始末。
これはなかなか難しい。


ようやくトラックを選んだ末、ボディカラーを決める段階になったが、色がほぼ無限に選べるのが感動的。
普通、この手の色選択は4,5色から選べればいいものを、いすゞの作りこみは凄い。


その後、前面の地図に自分が納品したトラックが投影される。
これも子どもにはうれしいし、作品と一緒に撮影するタイミングも用意されている。
しかも作者とトラックを入れても正方形に収まるようになっており、インスタを意識していることがわかる。




続いて、塗装体験。
ジョイスティックのようなものを握り、トラックに向けてノズルを引くと、ボディに色が塗られる。
ジョイスティックの先にセンサーが付いており、頭上に設置されたセンサーと併せて空間認識を行い、ボディの照射部分に色が付く仕組みのようだ。
ちょっとした遊具なのに、この手の込みよう。
しかも、同じ場所に照射し続けると塗料が垂れる。
感動だ。




整備体験もできる。
画面上に指示された点検内容を実車を使って現物確認し、異常がないかどうかを回答するもの。
僕が試した時は、ヘッドライトの点検が問題で、向かって右側が消えていることを指摘すれば正解。
これもディスプレイと車両の電源とを繋いでプログラムする必要があるので、意外と面倒な仕掛けだと思う。




こちらは4サイクルエンジンの仕組みを学ぶゲーム。
各サイクルを順番に経て初めてクルマの推進力が生み出されることをゲームを通して学べる。
ゲーム内容としてはビートマニア太鼓の達人のような感じで、各サイクルに差し掛かった時にタイミングよく光ったボタンを押せば良いというもの。
これは相当難易度が高く、ゲームとして楽しめる子どもは少ないのではないかと思った。

僕がマジでやってみたところ、この日の記録を約30秒以上上回る最高記録が出た。それでもまだ更に30秒程度短縮できそうな余地があった。




さて、クラシックカーゾーンも見てみる。
入館前の想像では、創世期のバス、エルフ、ベレット、117、ピアッツァ、くらいが並んでいるのではないかと思ったが、蓋を開けてみると、エルフと117は合ってたが、ベレル、LUVジェミニ、というラインナップであった。
ん?LUV?と思った人は僕だけではあるまい。
そんなクルマ、耳に覚えがない。
説明を読んでみると、ファスターのシボレー版OEMだと書いてある。
ファスター自体が今やマイナーだ。
しかも何故シボレー版が飾ってあるのかが最大の謎である。




隣にジェミニ4ドアがいたが、それよりも当時のカタログに目がいった。
GMホールデン等のジェミニのOEM4兄弟が並んで紹介されているカタログである。
以前から思っていたことだが、ジェミニはそうでもないのにオペルOEMのカデットはどうして垢抜けてかっこよく見えるのだろう。
答えは簡単、横にいたおっちゃんが、"カデットには2ドアHTがあったからね"と。
なるほど、ジェミニは2ドアクーペ、4ドアセダンしかなくて、カデットには。。。
そのときは合点がいったが、後でよくよく考えてみるとジェミニフェンダーミラーだからダサく見えるのではないかと思った。




以上、いすゞの博物館を見たわけだが、僕の中では満点だ。
いすゞ自動車と言えば、今や完全にトラック・バスのメーカであるため、親しみをもってブランドを感じる人は少なくなっているはずだ。
そんな中、ここまで一般市民向けに投資をして面白い施設を作ってくるバイタリティはどこから生まれてくるのか。
それは日本のモノづくりに対するいすゞ自動車の技師たちの危機感の表れなのかもしれない。
日本国内で馴染みが薄くなってきたからこそ、若い担い手を獲得するのに必死なのであり、子どものうちからクルマ作りの愉しさを感じてもらう仕組みづくりに力を入れているということなのだろう。
と、僕は勝手にそう解釈した。

オートモビルカウンシルとやら

いよいよオートモビルカウンシルというイベントが今週末開催される。日本自動車文化のある種の集大成のようなイベント。日本もここまで来たかと思うと感慨深くて涙が出る。
http://www.automobile-council.com/

蓋を開けてみなければ分からないが、おそらくこのイベントはパリで毎年開催されているレトロモビルの日本版的なところを目指しているのかと思っている。レトロモビルのコンセプトはインドア×旧車。アウトドア−インドアと新車−旧車という2軸で自動車系の主なイベントを整理した場合に、今まで日本になかったカテゴリーである。強いて言うなら、自動車博物館系(トヨタとか伊香保にあるやつとか)は常設ながらそのカテゴリーに整理できると思うが。


過去、日本では2007年頃から数年間コンクールデレガンスというクラシックカーの品評会を開催したことがあったが、あまり定着しなかったように思う。コンクールデレガンスはペブルビーチやコモ湖で開催のセレブリティが自慢のカロッツェリア作品を出品する品評会的な性格に近かったように思う。リーマンショックのような時勢も大いに影響していて意気消沈だったが、日本ではどちらかというとクラシックカーはセレブのモノというよりコレクターズアイテムのような扱いをされる場合がまだまだ多い気がするので、レトロモビルのような若干ジャンキーで油臭さが漂う=大衆ウケを狙った方がそもそも無難だったという風にも今さらながらに思う。

あれこれ思うところはあるにせよ、今年初開催のオートモビルカウンシル。最初にも書いたが蓋を開けないと何もわからないので、プレビューデイに仕事をほっぽりだして確認してこようと思う。

スズキは悪くない?!

三菱に端を発した燃費計測データ改ざん問題は社長の辞任、日産のM&Aという形で一旦停止の様子。スリーダイヤが日本から消える日も現実味を帯びてきた矢先、スズキも燃費データを規定とは異なる方法で測定していたと釈明。暗雲立ち込める日本の自動車業界だが、三菱はともかくとしてスズキはマスコミに叩かれ過ぎではないかと感じたのはボクだけではあるまい。

僕は三菱のクルマは90年代後半頃から顕著に商品魅力度が低下してきていたと感じていた。GDIエンジンは一瞬注目されたが、今となっては何処へやら、プリウスが世に出る直前だったからこそ多少チヤホヤされた程度。それ以降、I-MIEV以外技術的に見るものは無いと言っても過言ではない。そんな三菱が燃費改ざん!?まぁ、過去のリコール隠しがまだ"過去"になっていない分、世論は冷たい。

一方で、今回は燃費の改ざんなので、命に関わる事象ではない。燃費が悪くなり過ぎてガソリン代払い過ぎて食べるものがなくなり死ぬ人はいないだろうから。そういう意味では前ほど激オコプンプン丸にはならなくてもいいのでは。加えて、燃費計測試験だってシャシダイナモ装置にクルマを載せて10・15モードで(今はJC08か)走るのを国交省の職員が確認していたわけではない、つまりメーカーの裁量にある程度任せていたと見られる(半分推測)状況で、国交省がしっかり確認せぇって意見にも一理あると思うのだが。。。

逆に改ざんしたのが"燃費"だから事が大きくなったとも言える。クルマを選ぶ際、何人乗れるか、ぶつかったときに生きてるか等といった基本的過ぎる要素を除いて、最も重視される要素がこのご時世燃費なんだと思う。多分デザインとかブランドとか置いといて燃費なんだと思う。走行性能、エンジン、サス、シートとか、レースでの活躍とかで選ぶ時代は遥か昔の話になってしまった。

クルマに多少詳しい身としては燃費なんてその人のクルマの使い方(高速長距離はディーゼル、街乗りはハイブリッド等)とか運転特性によって全く異なるもんだから、(ちなみにうちの母はN-ONEなのにリッター14kmくらいしか出せない(笑))28.5km/Lより28.6km/Lのクルマの方が凄い!なんて議論は殆ど価値がないと確信している。改ざんでどれだけ燃費を上乗せしていたかは不明だが、もっと他にも選ぶポイントあるだろ、と思ってしまう。その点、三菱のクルマには特に選ぶポイントがないので残念だが、スズキのクルマには美点がいくつも上がる。

と、長々と燃費改ざん問題について意見を述べているわけだが、今回ニュースでマスコミに叩かれ過ぎている原因の1つに消費者のクルマに対する偏った評価が影響していると思うのだ。

燃費しか見ずにクルマを選ぶなんて電気代しか見ずにエアコンや冷蔵庫を買うのと同じ、クルマの白物家電化が進行してしまった結果なのだと思う。でもボクはここで問いたい。日本人はモノを手に入れる喜びをもう感じなくなったのか。T型フォードをルーツとする大量消費社会を肯定するわけではないのだが、現代社会で日常生活を送る上でクルマを必要とする人はまだ多いはずである。折角購入するならば、しっかり品定めをしようじゃないか。今だ人生で2番目に大きな買い物なんだから。評価軸は燃費だけではないはず。消費者よ賢くあれ。

七曲がりシップスの発祥

水兵リーベ僕の船、七曲がりシップス、クラークか。

理科系出身者ならずとも、日本人ならば一度は聞いたことがあるフレーズではないだろうか。

原文の意味はともかく、これは多くの人にとって元素記号の序列を効率よく覚えるための"ジュモン"であったはずだ。


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さて、話題は横浜市の根岸地区を歩いていたときのことである。

幹線道路にはバスが走り、そのバス停名に引っかかるものがあった。

「根岸七曲がり下」。

七曲がり?

七つのカーブでもあるのか?









七曲がりの上にやってきた。



ふむふむ。



ふむふむ。



ふむふむ。



空から見てみると、七回曲がっとるけん七曲がりなんやと納得。


七曲がりと聞いてふと思い出すことがある。

七曲がりシップスクラークか・・・

シップス。。。

ここから船が見えるのだろうか?




海には近いが船は見えぬ。

あの工場地帯の向こうは間違いなく海なのだが、工場が邪魔して船どころか海すら拝むことができない。

工場は高度経済成長時代にできたのだろう。


今昔マップを使って100年前の様子を見てみると、確かに海はすぐ近くに見えたはずだということがわかる。

"七曲がり"から"シップス"は見えたはずだ。

だから、なんとなく、あの"ジュモン"はここで詠われたような気がするのだよ。

待て待て、合点が早すぎやしないか?

水兵リーベだよ。水兵さんの船はいたのかが重要ではないか?

今昔マップを見ても、根岸海岸は確かに海はあるが頑張っても漁港程度にしか見えない。

うーん。



水兵と言えば、横須賀だが、横須賀はさすがに遠いよな。

うーん。


ここからだと並木、幸浦、追浜が邪魔してどうやっても見えそうにない。

100年前はどうか?


おー!

横須賀が見、見える!

水兵が、見える!

その瞬間、確信した。

あの"ジュモン"はここ根岸で詠まれたのだと。

七曲がりの坂から水兵の船を見てふと"誰か"が思いついたのだろうと。

石炭全盛期の記憶


福岡県には炭鉱が数多存在しエネルギー革命前は東京や神戸に大量の石炭を移出するなど日本の工業化に大きな役割を果たした。あれから半世紀以上経ち、多くの福岡市民は石炭は筑豊地方(福岡県の内陸の方)で算出されており同一県内ながらも少し遠い地域の話だという理解をしている人も多い。僕も遠からずその1人で、志免の竪坑以外は全て筑豊の話だと理解していた福岡市民の1人であった。

昨年、明治日本の産業革命遺産世界遺産に登録され、その中に福岡県の炭鉱関連施設も入っているとのニュースを聞いた。調べたらそれは大牟田三井三池炭鉱であった。志免の竪坑にはそれ程価値はないのかと思い、さらに調べると第二次大戦以前に建設された竪坑の中で現存するものは志免、撫順、トランブルールの3つしかないとのことだった。トランブルールは知る由もないが、撫順は高校(中学?)地理で習うフーシュンのことだ。フーシュンは全国の高校生が習うのに、志免のことは習わなくていいのか。


志免以外にも周辺に炭鉱があったことも分かった。宇美、久山、篠栗・・・いずれも地元のすぐ近くだ。しかも実家のすぐ近くを石炭を運ぶ索道が通過していたことも分かった。当然のことながら今や往時の痕跡はキレイさっぱり見当たらない。索道は昭和40年頃まで存在していたそうだから私の父親は運ばれる石炭を見上げて育ったのだろうか。


◆◆◆


地元周辺の炭鉱について調べるため、先述の篠栗町の歴史民俗資料室に足を運んだ。入口の足跡帳を見ると、ここ数日は誰も訪れていない様子。そんな田舎の寂れた資料館である。お目当ての炭鉱に関する資料は二階に展示されていた。


資料を拝見すると、"石炭の産出量○○トン"とある。この数字を見てもイマイチその規模がわからないが、労働者数の推移を見てみると、篠栗の高田炭鉱では戦前戦後は1,000人以上が働いていたそうだ。当時の篠栗町の人口は定かではないが数千人程度だと思うので相当なウェイトを占めており、町の重要な産業だったことがうかがえる。


また、隣町である久山の方から篠栗まで石炭を運ぶトロッコ鉄道が敷かれていたこともわかった。なるほど、最近はWebで閲覧できる航空写真というものがあり、それを見ると60余年後の今でも鉄道敷設跡らしきものが確認された。それは貯水池を跨ぎ、丘を潜り、現在の篠栗北交差点から真っ直ぐ篠栗駅に伸びる道路と重なっているようだ。


もう一つ資料の中で興味を惹いたのが、高田炭鉱の労働災害の少なさである。炭鉱と言うと3Kという言葉に代表される過酷な労働条件とともに、ガス中毒や鉄砲水など事故が絶えなかったことでも有名だ。ところが高田炭鉱は創業から閉山までの間に目立った労災事故がなかったことそうで、国から優良表彰も受けていたという。そんな表彰制度があったことも驚きだが、炭鉱での仕事が危険と隣合せだということの裏返しでもあると言える。


◆◆


今回の訪問で自分が生まれ育った地域の、少なくとも炭鉱の歴史がわかったのだが、あまりというか全く近所の人や学校などでそのことを学ぶ機会がなかったのは何故だろうと思う。炭鉱は国の主力産業だったとはいえ、一民間企業が経営していたため利害関係者外にとって興味のないことだったのか、それとも義務教育で扱う必要がなかったのか、真相は不明であるが、石油へと著しく変わりゆく世の中で瞬時に忘れ去られていく運命にあったことは間違いないだろう。