風ふくまで

いつもクルマのことばかり考えています

Can't buy crown

新型クラウンの広告を見て思ったこと。
広告とは自社製品の販促に資することが第一の存在意義であるにも関わらず、頭から「Can't buy crown〜」という否定的な文言を並べるあたり只事でないと思った。
カタログを拝見すると冒頭からなんと12ページまでが「Can't buy crown〜」で占有されており、一見するとクラウンを購入することはできないのではないかと思ってしまう(実際お金がなくて買えないが)。
なるほど日本以外の国々ではクラウンは買えない、裏を返せば、日本人で良かったね、クラウンが買えるから、という筋立てなのか。



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欧州車への憧れ一辺倒で成長してきた日本車の歴史を回想すると、日本人のための高級車を体現してきた(少なくともしようとしてきた)クラウンの功績は称賛に値する。実際のクラウンの出来不出来は置いておいて、日本車としてのアイデンティティをここまで主張できるクルマ作りを続けてきたことを日本人として誇りに思わずにはいられない。
韓国車や中国車で「Can't buy ○○」と言えるようなクルマがあるだろうか。いやないはずだし、ボクは少なくとも今後20年はそんなクルマ出てこないと思う。なんだかんだ言って日本には日本独自の自動車文化が根付きつつあるのだと、新型クラウンの広告を見て思った。






花街の記憶

緩やかな下り坂を歩いていると、赤いシャツを着た5つくらいの坊主がこちらへ向かってきた。正面にはサッカーボールの画がプリントしてある。
坊主は、我々の前で立ち止まるや、後ろを振り向き、路地の奥へと進んでいく。
話しかけようとした途中でそっちへ行くものだから、おい待てよとばかりに、ボクは自ずと追いかけた。
坊主は急階段の前で止まり、「ここは昔、池だったんだよ。」とボクに伝えた。
それは誰に聞いたのかと尋ねると、
坊主は「自分」と耳元でつぶやいた。
ボクは困惑した。

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さて、四谷荒木町がその昔、花街だった名残はそこかしこに点在するバーやスナックが具に物語るのだが、奥の窪地が池だったことはあまり知られていないと思う。
実に残念なことだ。
マァ、歴史に忠実な解釈をするとこうだ。「奥の窪地に池があり、東京のど真ん中にしては風光明媚な場所だったため、結果的にその周辺には茶屋や遊郭が軒を連ねた」
・・・とすれば、坊主の言う、「ここは昔、池だったんだよ。」説は正解だ。
正面の急階段とそこから繋がるコンクリート断崖は池の端であろう。
歩いてきた緩やかな下り坂辺りが芝居を見に来た官僚たちの入口で、
坊主が駆け廻っている辺りが遊女が舞い踊る宴会場なんかなのだろう。
と、華やいだ過去に想像を巡らすうちに、
僅か数十年の内に「昔、池だった」という言葉に片付けられるほど、
人間の夢や営みはもろく儚いものだと強く感じられた。











バカが考える新幹線

数年前、「バカ日本地図http://www.chakuriki.net/japan/)」という、
ユーモアあふれる日本地図が一時ネットを賑わせた。
その頃、ヒマを持て余すボクは、"こいつの新幹線版なんかオモロいんやね?"
とムダに徹夜して作ったものが、下記作品である。
2007年なのでかれこれ7年前か。
世界陸上大阪とか懐かしいな。










Beautiful Japan

美しい日本を探しに、全国を旅してみましょう。





















まずは京都です。
さすが、古都。繊細な地割が美しいです。










これは江の島です。
江の島は非常にPOPなんですね。










こちらの円形の土地は、米軍の通信所跡地です。
日本には未だにこのような場所が残っています。













これは工業地帯でしょうか。











このグリッド感は札幌か名古屋でしょうね。
南北に緑地帯が走っているので、名古屋だとわかります。











その他、美しい日本の光景を余すことなくご紹介します。
ゆったりとした気持ちでご覧ください。






















今日はここまで。

↓こちらより引用しました
http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/

Le Ballon Rouge

Le Ballon Rougeとは邦題「赤い風船」で知られる、フランスの短編映画である。




この映画、ストーリー自体もさることながら、
50年代のパリを行き交うクルマたちが背景に映り、
60年経過した今となっては興味深い。



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下記はパスカル少年が風船を所持していたため、
バスへの乗車を拒否される場面である。


バスの形もケーブルカーの様で隔世の感があるが、
今はその横をオーバーテイクするCITROENに注目したい。


これは11CVと呼ばれる戦前に設計された乗用車で、
世界初のFF車、7CVに端を発したクルマ。
戦前、戦後のパリでは多く見られたそう。
非合理的なイメージの強いフランス車であるが、
FF車がフランス発という事実は少々意外に感じる。



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さて、風船を諦めたパスカル少年がバスに乗車すると、
風船は自らの意志で少年を追いかけ出す。
そのシーンがコチラ。



風船の背後に映るは、定かではないが、
フロントマスクから想像するに、SIMCAであろう。
SIMCAは30年代にFIATのノックダウン生産に始まり、
70年代にCHRYSLERに吸収され短命に終わったフランスの大衆車メーカー。


今でも古着屋等に足を運ぶとごく稀にSIMCAのキーホルダーが
レジの横で静かにコレクターを待ち続けているのを目にする。


腰の高い車体から想像するに、50年代初頭の設計だろうか。
映画に登場した個体は荷台がついているようだが、
セダンタイプも存在したのだろう。


古いクルマとして、語り継がれるものの多くが、
スポーツタイプやセダンタイプであるため、
このように商用車が映りこんでいる映像は反って貴重なのだと思う。




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続いては、街なかでの一場面である。


手前に映っているのは、RENAULTが手掛ける大衆車、4CVである。



前席側はAピラー側にドアノブが設けられる珍しいタイプで、
Bピラーを中心に謂わば「逆観音開き」のように開閉する点が特徴。
リアエンジンスタイルはフェルディナント・ポルシェの影響だろうか。


また、奥に映っているのは言わずと知れたCITROEN 2CVであり、
この映画から60年程度経過した今もなほ、
パリの顔として変わらぬ愛想を振りまいている。


さて、CITROEN,RENAULTとくれば、PEUGEOTを忘れるわけにはいかない。


以下の写真手前に映るのはPEUGEOT203である。



今のPEUGEOTからは想像し難いが、
戦後間もないPEUGEOTはこのようなアメリカンスタイルの203を販売していた。
日本でもタクシー等に需要があり、相当数の203が走っていたという。
なお、このあと304,504等の名車が登場するのはご存知の通り。




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最後にこの映画を見て思ったことを端的にまとめる。


私はパリ在住でも出身でも何でもないのだが、
1950年代をパリで過ごしたことのある人ならば、
この映画を見て当時の様々な思い出を蘇えらせることだろう。
人々の生活がクルマと切っても切れない関係になった現代社会では、
あの日あの時あのクルマという言葉に表れるように、
様々な記憶がクルマと紐付いて思い起こされることが多いと感じる。
殊にパリにように町並みに大きく変化のない都市では尚更だろう。
この映画はそんな過去の記憶をクルマと共に思い出させ、
懐かしい気分にしてくれる、そんなエッセンスに溢れていると思う。